そろそろ、転勤を含む総合職の采配のやり方を、「人権」と「エンゲージメント(企業と社員のベクトルをあわせること)」の観点から、考え直した方がよいのではないか。
総合職という職種は何をする仕事か
日本の企業の多くが、新卒一括採用で「総合職」という人材(の卵)を採用している。どういう仕事をするポジションかといえば、広い意味でで「基幹的な仕事」がメインだが、常にそうだというわけでもなく、「いろんな仕事」がまわってくる。そのため、求職条件や就業規則に、「業務の都合で、配置転換や転勤を命じることがある」などと書かれている。これは、社員がそれを拒むと、解雇を含む懲戒の対象となることを意味する。
判例も定着していて、よほどのことがない限り、会社の命令は合法とされる。「よほどなこと」とは、本人側に正当な事由があるか、逆に、会社側にそれがない場合だ。
就活にいそしむ20代になったばかりの学生(今までは、その多くが男)は、自分のこれからの人生にとって、これがどのようなインパクトを与えるか、あまり考えないのだろう。会社に入ってからも、配置転換や転勤はサラリーマンとしてあたりまえのことだと受け入れている。
かなり異常な采配が当然の「総合職」
しばらく前のことだが、企業人とダイバーシティ・マネジメントの勉強会をやっていて、総合職の転勤制度は、海外では人権侵害とされる可能性があると話して、驚かれたことがある。当方の関心が「経営の国際比較」なので、つい、ほかの国ではどうなっているか気になる。ざっと調べたことがあるが、いわゆる先進国(OECD上位20か国)で、多くの社員に対してこのような就業規則が適用されるのは、日本ぐらいだ。
アメリカやヨーロッパでこれに近いのは軍隊だろう。通常の企業では、営業とか人事とか広報とかいった職種別で求人があり、採用される。たとえば営業職として採用されたあと、会社の都合で人事に異動するということは、普通はない。
もちろん、採用された職種のなかで、転勤を打診されることはある。しかしそれを拒んだからといって、解雇や降格などはない。もし、そのようなことになったら、社員は企業を「雇用契約違反」で訴えればよい。すぐに勝つだろう。もともと雇用契約や就業規則に、そのような条件が含まれていないからだ。
したがって、会社側は転勤の本人のキャリア上のメリットを説明したり、昇給や昇進などのインセンティブを提供したりして、社員が納得して転勤をしてくれるよう努力する。転勤先に、配偶者用のポジションを用意することも、珍しくない。
軍隊以外で総合職に近い職種では、「幹部候補生(MT~Management Trainee)」というものがある。複数の部門を渡り歩いて、幹部候補として経験を積んでもらうことが雇用条件として明記されていることが多い。勤務地もグローバルだったりする。
しかし総合職との決定的な違いは、少なくとも3つある。
一つが期間。日本の総合職は、終身雇用が前提だが、MTは期間限定の、双方にとっての「お試し」的なポジションという位置づけである。決められた期間のうちに、幹部候補としての実績を上げられなかった場合は、幹部として登用されず、契約を打ち切る、という条件がつく。
次が人数や機会をめぐるもの。MTは、ごく少数の、選りすぐりを対象としたポジションだ。また、日本のように毎年、定期的に募集するわけでもなく、したがって、入社年次などという、役職とは別の社内の上限関係もない。
3つ目が、仕事の内容だ。日本の総合職が、基幹的な仕事もすれば、それ以外の「雑巾がけ」もするのに対し、MTでは、徹底的に基幹的な仕事を与えられる。
職種ではないが、「幹部育成プログラム(MAP~Management Acceleration Program)」というのもある。アメリカでもヨーロッパでも、内部登用を重視する企業はいまだにある。そのような企業では、人事制度の1つとして、将来、幹部となってくれそうな優秀な社員を選抜し、このプログラムに乗せる。そのなかで、採用された部門とは異なる部門に異動したり、転勤をオファーされたりするのだ。
MTでもMAPでも、異動や転勤をめぐっては、情報をくわしく開示する。なぜそのような異動が意味あるものか、本人に説明し、本人が納得し、合意することで次に進む。期間も区切られている。また、対象となる人数も、全体の社員のなかのごく一部である。
このように、日本以外の先進国の企業でも、異なる部門への異動や転勤はあるのだが、その実態は、日本とはかなり違う。
多様な人材の采配(ダイバーシティマネジメント)
ちょうど今週、ゼミOBたちが訪れて来てくれている。昨日、彼らと一緒に、コペンハーゲンから電車で30数分の、スウェーデンの街に行ってきた。ルンド(Lund)にある日系企業で働くスウェーデン人と、晩飯を食べながら話を聞かせてもらうためだ。同社は日本を代表する多国籍企業で、ヨーロッパにおける研究開発拠点を同地で展開している。1500人ほどのエンジニアが働いているそうだ。話を聞いていたら、自分のチームにいる2人の社員のことを教えてくれた。一人はポルトガル出身で、ポルトガル人と結婚したので自国に戻って働きたいと申しでて認められたそうだ。一年に何回かルンドに出張に来る以外は、リスボンの自宅で仕事をしているという。
もう一人はフランス人と結婚したスウェーデン人で、奥さんはニースで仕事をしているそうだ。最初のうちは、互いに休暇を使って、行ったり来たりしていたが、ポルトガル人の同僚がリスボンで在宅勤務をするのを見て、自分もニースで仕事をしたいと申し出て、認められたという。
20人ほどのチームのなかの2人というから、メンバーの一割が遠距離、しかも海外の在宅勤務ということになる。日本の会社で、「沖縄出身の彼女と結婚するので、今の仕事は続けたいが、彼女の地元に引っ越したい」と言ったら、なんといわれるだろう。
しかしメールや電話、ネットテレビ会議などで連絡をとりながら仕事をしていて、離れたところにいるという意識もなく、仕事上、困ったことがないという。二人とも優秀で、しっかり仕事をしてくれている。そればかりか、ポルトガルやフランスの動きもリアルタイムで教えてくれるので、助かっているとも。
異なる能力をもち、さまざまな事情を抱えた、多様な人間が集まった組織で、どのように人材を采配するか。本人の望まない単身赴任が回避でき、ワークライフ・バランスもとれ、本人の満足度もあがれば、リテンション(人材確保)も、エンゲージメント(会社と本人のベクトルあわせ)も実現できて、業績への貢献も高いはずだ。
カネカ炎上と「人権」と「エンゲージメント」
教えてもらったポルトガル人やスウェーデン人のケースと似たようなことは、日本の親会社では同じようにはできていないらしい。日本の親会社ではできないダイバーシティ・マネジメントが、ヨーロッパの子会社で、実現している。なぜか。
カネカのホームページを開けたら、最初に次のようなお知らせが掲載されていた。
(出典:カネカ社ホームページ)
ゴルフや囲碁は、異なる能力を持った人が一緒にプレイできるよう、最初にハンディをつける。これを特別扱いしてずるい、とは言わない。多様なメンバーでプレイできるおかげで、みなが楽しめる。
それと似て、長時間働ける人や、短時間しか働けない人など、人それぞれに異なる状況があることを認め、それにあわせて柔軟に処遇を行うことができれば、みなそれぞれに納得して、力を発揮するはずだ。
また同社は、特別あつかいしない状況とは、父親が育児を満足にできない状況だと間接的に認めていることになる。これも、問題ではないか。
ワークライフ・バランスを、社員の《主観的》な問題とする考え方からは、転勤により育児ができずワークライフ・バランスが維持できないと文句をいう社員は、「わがまま」とされるのだろう。
しかし、ヨーロッパで広く受け入れられているように、《尊厳》や《人間らしい生き方》を、すべての人間に備わった《基本的な人権》の一部とする考えにたつと、働き手が納得できるようなワークライフ・バランスの成立しないような仕事のさせ方は、人権侵害とさえいえる。
他方で、一人ひとりの違いを認め、尊重し、公正に評価したうえで処遇をすることができれば、働き手のエンゲージメントもあげられる。組織として、業績の向上にもつなげていくことができるはずだ。