2016年1月24日日曜日

番外編)CBS Observerへの投稿

CBS Observerに投稿しました。Copenhagen Business School(CBS)で、大学広報とは独立して、学生が編集主体となって発行している新聞とウエブ・ニュースです。


Åbent brev: Angående beslutningen om at lukke japansk

Open letter: Concerning the decision to close Japanese(英文のオリジナル)

2016年1月17日日曜日

メールの写しと、長時間労働

デンマークに行ってびっくりしたことの一つに、メールの写しがある。

日本では、仕事でメールを使うときに、関係者に写しを入れる。BCCで名前を明かさず情報共有している相手もいる。同じような仕事なら、デンマークでも同じぐらいの関係者がいるはずなのだが、メールにほとんど写しを入れない。

たかがメールの写し、と思われるかもしれない。しかし考えていくうちに、どうやら日本の長時間労働(デンマークの短時間労働)と関係しているようなのだ。まだ仮説の段階で、実証するために、どうやってメールの写しをデータとして集められるかというのが悩みだが。

2014年のデンマークの一人当たりGDPは約6.1万ドル。これに対して、日本は3.6万ドルである。日本では自動車やハイテク製品など、デンマークでは作っていない先端的な製品を多く作り、輸出しているのに、デンマークのほうが、一人当たり、より多くを生産していることになる。円安の影響があるにしても、ざっとデンマークと日本で生産しているものを見回してみて、解せないところがある。

もっと不思議なのが、労働時間である。デンマークでは、平日の残業は少なく、金曜日の午後3時にもなったら、みんな帰途に就く。長時間労働が当たり前の日本と比べると、オフィスで仕事をしている時間が明らかに少ない。それなのに、日本よりデンマークのほうが、一人当たりの生産が大きいということは、時間あたりの労働生産性で見ると、彼我の差はさらに開くことになる。

日本で長時間労働がはびこる理由として、様々な理由が挙げられてきた。長く働くことが評価されるとか、上司より先に帰りにくいとか、職場内で付き合い残業があるとか、残業代を稼ぐためとか、家に帰っても居場所がないとかである。しかしデンマークのメールの写しを見ていて、仕事のやり方そのものにも、もっと注目する必要があるのでは、と考えるようになった。

デンマーク人はメールに写しをあまり入れない


2011年の秋にコペンハーゲン・ビジネススクール(CBS)に来て、デンマークの人たちと仕事をし始めたところで、あれ、メールに写しが少ないな、と驚いた。当方はCBSに来てからも、日本人の習慣で「念のため」に相手の上司や右や左の関係者などにも写しを入れてメールを送ったりしていた。しかし多くの場合、返事は一対一のピンポイントで戻ってくる。だれにも写しが入っていないことが多かった。CBSの中でのやり取りだけでなく、デンマーク企業とのやりとりでも、そうだった。

あるとき、自分の所属していた研究所の秘書にそのことを尋ねたら、必要な場合以外は、写しなど入れる必要はないではないか、逆に、なんでそんなに写しを入れるのか、と聞かれた。いろいろ聞いていくと、デンマークでメールに写しを入れると、自分の仕事の進め方を信用していないということなのか、と、相手が気分を害する可能性があるということも分かった。


モジュール化された仕事と権限移譲が、メールの写しと関係しているらしい


一つの仕事を進めるうえで、どのような関係者に、どの程度の情報を共有しておく必要があるか。また、どのような関係者と、事前に調整を行っておく必要があるか。その必要性が大きくなればなるほど、細かく気をまわし、手間も時間もかけて、仕事を進めることになる。メールの写しだけでなく、会議や稟議も、事前の根回しのための打ち合わせも、インフォーマルな飲み会も駆使して、情報共有と調整を進め、手伝ってもらったり、手伝ったりしながら、仕事を進めることになる。これは、多くの関係者が、密接に情報を共有し、調整し、相互依存しながら仕事を進めるという、「インテグラル型」の仕事のプロセスである。

デンマークの仕事ぶりをみていれば、そういう手間をかけなくても、同じような成果をだせないわけではないことがわかる。仕上がりは、日本ほど緻密でも完璧でもないかもしれないが、細かいことに文句をいわなければ、これでも十分である。一人一人の責任と権限の範囲が明快で、仕事のプロセスについて口を挟まず、信頼して任すとともに、結果をきちんと評価できればよい。これは別の言い方をすれば、一連の仕事を、レゴ・ブロックのように「モジュール化」して進めているということでもある。

二人の子供に、小さな家を作ってねと材木、板、くぎ、のこぎりを渡したとする。どうなるだろう。工作が好きな子供なら、なんとかやってみようと四苦八苦し、時間をかけて作り上げるかもしれない。子供によっては、未完成のまま、諦めてしまうだろう。では、レゴ・ブロックを渡して、同じことを頼んだらどうか。今度は、あっという間にできるのではないだろうか。




材木やくぎから、おもちゃの家を作る苦労は、さまざまな材料が「相互に依存」していることと、二人の子供が「協力」しないとうまくいかないことにある。柱を立てないと、梁をかけられない。柱と梁ができて、屋根を組める。それぞれの寸法も、おたがいに密接な関係にある。このように、材料が「相互に依存」しているので、たいていは、設計図を事前に作って、寸法を決め、それから材木を切って組み立て始めるという手順を守ることが大事である。

二人で作業をするということは、お互いに手伝うことができるので、重い材木を立てたり、高いところで作業したりするときに、助かる。しかし協力するためには、やはり、お互いに手順を確認したり、調整をしたりする必要がある。材料も、人間も、インテグラルな関係にあるのだ。こうしてやっとのことで作り上げ、完成間近で設計変更がおこったら、えらいことになる。各パーツが相互依存しているので、一部だけの変更では終わらない。かなりの部分を作り変えることになる。

レゴ・ブロックで、おもちゃの家を作る時は、このような苦労がほとんどない。同じレゴ・ブロックが、壁にも屋根にも使える。事前に長さを測る必要もない。長くするには、たくさんのレゴ・ブロックをつないでいくだけでいいのだ。二人は協力せず、独立して仕事を進めても構わない。一人は家の右側、もう一人は左側、を別々に作り始めても、見栄えを気にしなければ、いつかつながる。設計変更も、簡単にできる。

日本では、仕事がすべてインテグラルで、デンマークではモジュールだ、というのではない。デンマークで、メールの写しに含まれる「関係者」や、会議の回数、打ち合わせの参加者が、日本よりも少ないのは、インテグラルな仕事の仕方をする割合が、日本よりもすくないからではないか。

それが可能となるためには、まず家全体の設計図を作る人がいて、それを、家づくりの作業をする人たちで共有することから始まる。それぞれの作業に特化してプロとして能力を高めた人たちに、権限を委譲し、任せ、分業を進められれば、効率よく生産性高く仕事ができる。

それぞれの担当者は、自分の担当する仕事を、自分の責任でレゴ・ブロックのような塊として完成させる。それぞれのブロックで仕事を進めるのに、他のブロックの仕事の進行との調整は、あまり考える必要がない。前行程の仕事と後行程の仕事の組み合わせでは、レゴ・ブロックを組み合わせるように、簡単につながる。難しい擦りあわせ作業は不要である。仕事を進めるうえで、あうんの呼吸や暗黙知を、長い時間をかけて体得する必要も減る。

このように、仕事を進めるうえで、情報を共有したり、調整したりする手間も、そのような共有や調整の範囲ややり方を暗黙知として体得する手間も、大幅に減らせれば、自分のペースで仕事を進められるし、時間も節約できる。メールの写しや会議も減らせる。時間あたりの生産性は、確かに上がるのである。さすが、レゴの国、デンマークならではの仕事の進め方なのかもしれない。

2016年1月4日月曜日

日本の飲み会とデンマークの昼ご飯

2011年の秋から1年間、コペンハーゲン・ビジネススクール(Copenhagen Business School、以下CBS)客員教員として過ごした。向こうへ行ってすぐに、2つのことにびっくりした。一つは、オフィスのレイアウトである。多くのオフィスに、結構広いオープンスペースがあることだった。もう一つは、みんな早く帰る。平日は午後5時前には、教員もスタッフもほとんどが帰路につく。金曜日に至っては午後3時過ぎに、オフィスがシンとする。しばらくして、この二つは関係があることに気づき、もう一度、びっくりした。

CBSの研究室は、ポセランハウン(Porcelaenshaven)という場所で、直訳すると「陶器の港」という意味だそうだ。200年以上も続いているデンマークを代表する陶磁器メーカー、ロイヤル・コペンハーゲンが、2000年代に入ってフレデリクスベアにあった工場を閉鎖することを決めた。そこで、工場と倉庫のある一帯を、コペンハーゲン・ビジネススクールの新キャンパスやマンションとして再開発することになったのだという。いまでも通りに面した立派な正面の一部に、ロイヤル・コペンハーゲンが残っていて、アウトレット・ショップになっている。日本語の手書きの看板も出ている。


(2012年6月にセミナーのスピーカーとして来ていただいた佐々木順子さんと
ポセランハウン・キャンパスの前で)



与えられた研究室は4階のフレデリクスベア公園と反対側にあって、中庭に面したところだった。窓からは、中庭をはさんで反対側に、自分の研究室のある建物と似た、5階建ての古い建物が見える。通りに面した1階に、この2つの古い建物をつなぐ、モダンで、いかにもデンマーク的な、白と黒で統一されたホールやカフェテリアがある。この建物の隣には、コペンハーゲンのオペラハウスを設計した、ヘニング・ラーセン設計事務所(Henning Larsen Architects)によって倉庫の一つが、フレデリクスベア公園に面して、全面ガラス張りの近代的な教室と研究室のビルに改築された。

二つの古い建物には、教室や教員の研究室、それに大学生のための寮などが配置されていた。研究室のレイアウトは、どの階も少しづつ違うのだが、基本的には、廊下というには広すぎるスペースをぐるっと囲むように、各研究室が配置されていた。

立教大学の自分の研究室は、マキムホールという14階建てのビルの中にあった。研究室は、まっすぐに伸びた廊下の両側に配置されていた。日本の他大学の研究室と、あまり変わらない、ごく普通のレイアウトだ。エレベーターを降りたらまっすぐ自分の研究室へ向かうだけである。廊下はふだん、シンとしていて、あまり廊下で他の教員と会うこともない。また池袋の研究室は、扉に細いガラス窓があって、室内で明かりをつけると、その光が廊下にもれることはあっても、研究室の様子が見えるわけでもない。

ちなみに、アメリカの大学の研究室の標準的なレイアウトも、少し前までのアメリカの企業のオフィスのレイアウトも、日本の大学の研究室のレイアウトと似ている。廊下の両側に、ずらっと個室のオフィスが並んでいる。ひょっとしたら日本のほうがアメリカのレイアウトを参考にしていたのかもしれない。アメリカの企業のオフィスのレイアウトは、特に大都市では最近は変わってきた。個室のオフィスが少なくなり、その代わりに、パーティションで仕切られた個人スペースが増えた。リストラでコスト削減が進んだことと関係している。

この、廊下にしては広すぎるスペースには、会議ができるテーブルとイスがおいてあったり、くつろげるソファがおいてあったりする。会議に使うにしては完全にオープンスペースで、大きな声でプレゼンをやれば周囲の研究室に聞こえて邪魔だし、密談もできない。それに会議室は、日本のオフィスのように、ちゃんとドアのついた個室として、別の場所にある。

無駄なスペースのへんなレイアウトだと思っていたら、その日の昼に、使途が判明した。みんなで昼ご飯を食べる場所だったのである。それから1年間、ここで周囲のオフィスの研究者たちと、昼ごはんを食べることになった。1階のカフェテリアから昼ご飯を調達し、4階のオープンスペースまで運んできて、皆と食事をした。家からサンドイッチや果物などを持ってくる人もいた。


(適当な写真を探していたら、ラーセン設計事務所のサイトにいいのがありました。)


もちろん昼ご飯だけでなく、みんなで朝ご飯を食べることも、午後のお茶を飲むことも、全員集合でなにかのアナウンスをしたり会合をしたりすることもあった。CBSに来て1週間程度したところで、同じフロアの皆に正式に紹介してもらったのは、金曜日の朝8時に開催された「朝ご飯会」の場だった。秘書が近くのパン屋から、ライ麦パンやサワドーなど、さまざまなパンを買ってきて(とても美味しい)、オープンスペースの横のキッチンでコーヒーを淹れ、バターとジャムをつけるだけのパンを食べながら、皆に紹介してもらった。ちなみにキッチンには本格的な食器洗い機も、冷蔵庫も、一通りの食器類も備え付けで、自分専用のマグカップを置いているスタッフもいた。

別の階のもっと大きなスペースでは、2か月に一回程度の教授会もやっていた。ここまでだと、単に会議室がオープンスペースなだけだという話で終わるように思われるかもしれない。しかしある時、ああそうか、デンマークでは飲み会がない代わりに、昼飯を一緒に食っているのか、と合点がいく。

日本の会社でも、同僚や上司と昼飯を一緒にとる。社内食堂で昼ご飯をとる人もいれば、会社の外に出てランチをやる人もいる。NHKが昼時に放映している中井貴一の「サラメシ」は、ひそかな名番組として支持されているそうだが、一時間の昼休みに、みんなと昼ご飯をとるのは重要なイベントなのだ。サラリーマンがみな、蕎麦を5分でかきこむだけで昼を済ませているわけではない。

それでも日本の組織の昼飯とデンマークのそれは、かなり違う。基本は、日本の組織であれば夕方、飲み屋でやる「飲みにケーション」を、デンマークは昼にやっているのである。

日本での飲み会にも、いくつか種類がある。同じ課の知った仲間と行って、上司の愚痴をこぼす飲み会もあれば、プロジェクトを始めるときなどに、これから一緒に仕事をする他部門や取引先の関係者と顔合わせをする飲み会もある。そのプロジェクトが終わって、打ち上げる飲み会もあれば、異動での歓迎会やお別れ会もある。デンマークの昼飯も、様々な目的のものがあった。最初の頃は、毎日、CBSのなかで知らない研究者と知り合いになる機会となった。同じ階の研究者の顔がだいたいわかってきたら、別の階に遠征してまた違う顔ぶれと昼ご飯をやったこともある。

企業を訪問してインタビューをさせてもらった際に、そのまま、そこで昼ご飯に加えてもらい、結果的に想定外のインタビューを、昼ご飯をとりながらやらせてもらったこともある。それで、昼ご飯を一緒にとれるオープンスペースは、CBSだけに限ったことではなく、デンマークの比較的大きな企業であれば、かなり一般的なことだということも分かった。

そうやって、ランチをやりながら、同僚やそれ以外の知らない人と話をする。そして知らない人とも知り合いになる。当たり障りのない話もするが、相手も自分も、いま、どんな仕事をしているか、どんなことに興味を持っているか、困っていることがあるか、などを話す。接点が見つかれば、それでは今度また、詳しく話を、ということになる。その時はピンと来なくても、顔と名前と関心事項が一致しているので、後になって突然メールで相談しても、返事が来る。

グラノベッターが「弱い紐帯の強み」という概念を提唱し、ネットワーク理論につなげていったのは、もう40年以上前のことである。Googleの検索エンジンも、Facebookの友達機能も、Linkedinも、ネットワーク理論の発展に多くを負うている。

いつも一緒に仕事をしている上司や同僚や、家族や友人など、緊密な関係を持った人材からの情報よりも、それほど緊密な関係ではない人からの情報のほうが、仕事に役立つことが多いことを実証してみせた。緊密な関係を持つ人間同士では、似たような情報ばかりが集まり、新しい情報に触れる機会が少ない。それに対し、そうではない人間関係からは、より気づきの多い情報を得ることができる。「弱い紐帯」のほうが、強みがある。ダイバーシティ・マネジメントの意義の一つでもある。

日本であれば、仕事が終わった後の飲み会や異業種交流会などでネットワークを広げて、情報を収集したり共有したりする。「弱い紐帯」をつくり、活用しているのである。これは時に、フォーマルな関係に加えてインフォーマルな関係が厚いことで、複雑な仕事を協力しながら完成させることのできる日本的な企業の強みともなる。

デンマークでは仕事が終わったら、みな、さっさと帰路についてしまう。だから「弱い紐帯」ができにくいのかというと、そうではない。日本の飲み会の代わりとして、昼ご飯の時間を使っている。すごいことに、そのような機能の重要性を踏まえて、オフィスのレイアウトまで、そのようなことがうまくいくように出来ているのである。