2016年1月17日日曜日

メールの写しと、長時間労働

デンマークに行ってびっくりしたことの一つに、メールの写しがある。

日本では、仕事でメールを使うときに、関係者に写しを入れる。BCCで名前を明かさず情報共有している相手もいる。同じような仕事なら、デンマークでも同じぐらいの関係者がいるはずなのだが、メールにほとんど写しを入れない。

たかがメールの写し、と思われるかもしれない。しかし考えていくうちに、どうやら日本の長時間労働(デンマークの短時間労働)と関係しているようなのだ。まだ仮説の段階で、実証するために、どうやってメールの写しをデータとして集められるかというのが悩みだが。

2014年のデンマークの一人当たりGDPは約6.1万ドル。これに対して、日本は3.6万ドルである。日本では自動車やハイテク製品など、デンマークでは作っていない先端的な製品を多く作り、輸出しているのに、デンマークのほうが、一人当たり、より多くを生産していることになる。円安の影響があるにしても、ざっとデンマークと日本で生産しているものを見回してみて、解せないところがある。

もっと不思議なのが、労働時間である。デンマークでは、平日の残業は少なく、金曜日の午後3時にもなったら、みんな帰途に就く。長時間労働が当たり前の日本と比べると、オフィスで仕事をしている時間が明らかに少ない。それなのに、日本よりデンマークのほうが、一人当たりの生産が大きいということは、時間あたりの労働生産性で見ると、彼我の差はさらに開くことになる。

日本で長時間労働がはびこる理由として、様々な理由が挙げられてきた。長く働くことが評価されるとか、上司より先に帰りにくいとか、職場内で付き合い残業があるとか、残業代を稼ぐためとか、家に帰っても居場所がないとかである。しかしデンマークのメールの写しを見ていて、仕事のやり方そのものにも、もっと注目する必要があるのでは、と考えるようになった。

デンマーク人はメールに写しをあまり入れない


2011年の秋にコペンハーゲン・ビジネススクール(CBS)に来て、デンマークの人たちと仕事をし始めたところで、あれ、メールに写しが少ないな、と驚いた。当方はCBSに来てからも、日本人の習慣で「念のため」に相手の上司や右や左の関係者などにも写しを入れてメールを送ったりしていた。しかし多くの場合、返事は一対一のピンポイントで戻ってくる。だれにも写しが入っていないことが多かった。CBSの中でのやり取りだけでなく、デンマーク企業とのやりとりでも、そうだった。

あるとき、自分の所属していた研究所の秘書にそのことを尋ねたら、必要な場合以外は、写しなど入れる必要はないではないか、逆に、なんでそんなに写しを入れるのか、と聞かれた。いろいろ聞いていくと、デンマークでメールに写しを入れると、自分の仕事の進め方を信用していないということなのか、と、相手が気分を害する可能性があるということも分かった。


モジュール化された仕事と権限移譲が、メールの写しと関係しているらしい


一つの仕事を進めるうえで、どのような関係者に、どの程度の情報を共有しておく必要があるか。また、どのような関係者と、事前に調整を行っておく必要があるか。その必要性が大きくなればなるほど、細かく気をまわし、手間も時間もかけて、仕事を進めることになる。メールの写しだけでなく、会議や稟議も、事前の根回しのための打ち合わせも、インフォーマルな飲み会も駆使して、情報共有と調整を進め、手伝ってもらったり、手伝ったりしながら、仕事を進めることになる。これは、多くの関係者が、密接に情報を共有し、調整し、相互依存しながら仕事を進めるという、「インテグラル型」の仕事のプロセスである。

デンマークの仕事ぶりをみていれば、そういう手間をかけなくても、同じような成果をだせないわけではないことがわかる。仕上がりは、日本ほど緻密でも完璧でもないかもしれないが、細かいことに文句をいわなければ、これでも十分である。一人一人の責任と権限の範囲が明快で、仕事のプロセスについて口を挟まず、信頼して任すとともに、結果をきちんと評価できればよい。これは別の言い方をすれば、一連の仕事を、レゴ・ブロックのように「モジュール化」して進めているということでもある。

二人の子供に、小さな家を作ってねと材木、板、くぎ、のこぎりを渡したとする。どうなるだろう。工作が好きな子供なら、なんとかやってみようと四苦八苦し、時間をかけて作り上げるかもしれない。子供によっては、未完成のまま、諦めてしまうだろう。では、レゴ・ブロックを渡して、同じことを頼んだらどうか。今度は、あっという間にできるのではないだろうか。




材木やくぎから、おもちゃの家を作る苦労は、さまざまな材料が「相互に依存」していることと、二人の子供が「協力」しないとうまくいかないことにある。柱を立てないと、梁をかけられない。柱と梁ができて、屋根を組める。それぞれの寸法も、おたがいに密接な関係にある。このように、材料が「相互に依存」しているので、たいていは、設計図を事前に作って、寸法を決め、それから材木を切って組み立て始めるという手順を守ることが大事である。

二人で作業をするということは、お互いに手伝うことができるので、重い材木を立てたり、高いところで作業したりするときに、助かる。しかし協力するためには、やはり、お互いに手順を確認したり、調整をしたりする必要がある。材料も、人間も、インテグラルな関係にあるのだ。こうしてやっとのことで作り上げ、完成間近で設計変更がおこったら、えらいことになる。各パーツが相互依存しているので、一部だけの変更では終わらない。かなりの部分を作り変えることになる。

レゴ・ブロックで、おもちゃの家を作る時は、このような苦労がほとんどない。同じレゴ・ブロックが、壁にも屋根にも使える。事前に長さを測る必要もない。長くするには、たくさんのレゴ・ブロックをつないでいくだけでいいのだ。二人は協力せず、独立して仕事を進めても構わない。一人は家の右側、もう一人は左側、を別々に作り始めても、見栄えを気にしなければ、いつかつながる。設計変更も、簡単にできる。

日本では、仕事がすべてインテグラルで、デンマークではモジュールだ、というのではない。デンマークで、メールの写しに含まれる「関係者」や、会議の回数、打ち合わせの参加者が、日本よりも少ないのは、インテグラルな仕事の仕方をする割合が、日本よりもすくないからではないか。

それが可能となるためには、まず家全体の設計図を作る人がいて、それを、家づくりの作業をする人たちで共有することから始まる。それぞれの作業に特化してプロとして能力を高めた人たちに、権限を委譲し、任せ、分業を進められれば、効率よく生産性高く仕事ができる。

それぞれの担当者は、自分の担当する仕事を、自分の責任でレゴ・ブロックのような塊として完成させる。それぞれのブロックで仕事を進めるのに、他のブロックの仕事の進行との調整は、あまり考える必要がない。前行程の仕事と後行程の仕事の組み合わせでは、レゴ・ブロックを組み合わせるように、簡単につながる。難しい擦りあわせ作業は不要である。仕事を進めるうえで、あうんの呼吸や暗黙知を、長い時間をかけて体得する必要も減る。

このように、仕事を進めるうえで、情報を共有したり、調整したりする手間も、そのような共有や調整の範囲ややり方を暗黙知として体得する手間も、大幅に減らせれば、自分のペースで仕事を進められるし、時間も節約できる。メールの写しや会議も減らせる。時間あたりの生産性は、確かに上がるのである。さすが、レゴの国、デンマークならではの仕事の進め方なのかもしれない。

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