2019年9月9日月曜日

デンマーク人と日本人で、「チームワーク」という言葉の意味が違うらしい

わがゼミは、毎年、CBSを含む海外の提携大学からの交換留学生たちを半年から1年、受け入れて、日本人ゼミ生とともに学んでいる。一緒にやるときは英語の文献を読み、プロジェクトをやる。それで気が付いたことがある。「チームワーク」という言葉の意味が、どうやら我々日本人と彼らとで、かなり違うようなのである。留学生、とくにデンマークからきた学生のグループワークのやり方は、日本の学生のそれとは、似て非なるものだ。

グループ・プロジェクト

もちろん日本人学生のなかにもいろいろいる。真面目にチームワークをやる学生にフリーライドしてしまう学生もいたりする。しかし少なからぬ学生はしっかりと時間をとり、ミーティングを重ね、濃厚に意見を交わし、全員参加でプロジェクトを進めてくれる。そして時々、こちらが予想してなかったような、面白い発表をしてくれたりする。

そのチームの中に、デンマーク人など海外からの学生が入るとどうなるか。

日本人と同じように、グループワークをやる学生もいる。せっかく日本に来たのだし、自分の国の大学には存在しない、ゼミなるもので、日本人と同じように勉強してみよう、という意気込みが感じられたりする。数年前には、ゼミ合宿に参加した留学生もいた。

しかし少なからぬ場合、チームワークのやり方に違いがでる。

もっとも典型的なのが、最初に分担を決め、スケジュールを作ったら、あとは一人で淡々と分担した箇所をやって、発表の日にそれを組み合わせて終わり、というパターンである。発表直前まで、互いに何がどこまで出来上がっているか、わからないままなのだ。でも、出来上がった自分の担当箇所は、結構、ちゃんとできている。時々、前後の部分とのつながりが悪かったりする。

日本人学生は、あいつらは真面目ではない、と文句を言う。

デンマーク人学生は、なんで文句を言われるのかわからないという。

議論を戦わせるなかで、学ぶこともあるでしょうとアドバイスしても、そのような議論は、本来、ゼミのなかでやることなのではないか、と逆に質問される。

グループワークの意味が違う

デンマーク人学生の話を聞くと、グループワークとは、1つの課題を、複数の学生が分担して行うことであって、同じ作業を複数のメンバーが共同で行うことではない、という。分担がうまくできるために、まず最初に、課題をどのように切り分けるか、そのどの部分をだれが分担するか、を決めることは重要なプロセスであり、ここに時間をかけることは理解できる。しかし、そのあとは各自が責任をもってやることではないか、それ以外に皆で話し合わなければならないことがあるのかとも。

日本人学生は、自分できちんと勉強していないから、議論と称して他の学生に教えてもらおうとしているのでは、という意見も出てきた。極めつけは、日本人学生と議論をしても、意味のある議論というよりも、単なる意見のいいあいになることが少なくない、というものだ。

そのような意見の依拠する考え方や根拠となるデータを問いただし、確認することが少ない。だから、理論の理解が不十分ではとか、別の理論も使えるのではとか、データが不十分なのではとかいった突っ込んだ話に発展することもあまりない。

なにより、そのような議論ができるメンバーが少なく、発言がいつも限られていて、それ以外のメンバーは黙っているだけなので、議論に偏りがある。自分たちも、自国の大学でグループワークをやっているが、日本人学生のやり方は時間が余計にかかるわりに、結果が各段に優れているわけでもない。

彼らにとってのグループワークとは、複数の人間が仕事をきちんと分け、それぞれが、分担した仕事に責任をもって仕上げ、またそれを最後に組み合わせることであっても、グループ全員で議論しながら全体をまとめることではないようだ。もう一つ、最小限の時間とエネルギーで、最大の成果をだそうという、生産性への意識も強い。

ちなみに、グループワークについて、このように考えている学生は、デンマーク人だけでもない。北欧の学生はいずれもそうだし、フランス人学生もそうだった。また、この状況はわがゼミだけでの話でもない。CBSに来てデンマーク人学生がグループで卒論や修論をやるのを手伝ってきたが、そのときのデンマーク人同士のプロジェクトでも、彼らは日本人からしたら、グループワークではないだろうと思うような、淡々とした仕事の分担に基づくグループワークでプロジェクトを完成させる。

摺り合わせ型、レゴブロック型

グループワークをめぐる日本人学生とデンマーク人(それ以外も含む)学生との違いを考えていて、はたと気がついた。日本とアメリカの製造業の違いでよく指摘される、擦りあわせ型の生産と、モジュール型の生産に似ていないだろうか。

藤本隆宏(2001)らの議論によれば、ものづくりは「摺り合わせ」型と「モジュール」型に分かれる。前者は、長いつきあいのパートナー企業に、特注で部品を作ってもらい、それをすり合わせながらものづくりをしていく。後者は、つきあいのあるなしとは関係なく、毎回、入札で安い汎用品を買い付け、組み合わてものづくりをする。

前者では、ゼロから作ってもらう特注部品やパーツを使ってもらえるので、緻密でぴったりとフィットする製品を作ることができる。時間をかけて、こちらが希望する部品やパーツについて理解してもらい、場合によっては、作ってもらうために必要な機械や設備、職人の訓練に投資をすることから始めてもらう。

このような信頼のできるパートナー企業を見つけ、長期的な関係を維持していくことは容易ではない。値段の安さや短期的な効率だけを重視していたら、そのような関係はまず築けない。

後者では、義理もしがらみもなく、値段の安さや短期的な効率を実現できる。他方で、市場で簡単に調達することの難しい部品やパーツを使った製品を作ることは難しい。


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